白日、水無月に凛とす

30代、3児の父。いつか自分が死んだときに、ナイスな親父だったと思われる生き様でありたい

正直YOASOBIが苦手という話

一応はじめに言っておくと、YOASOBIさん自身や彼らの音楽を否定したいわけではないのです。彼らは悪くなく、ごくごく個人的な都合のお話なので、YOASOBIファンの方がこれを読んでも何卒お気を悪くなさらぬようお願い申し上げたいです。

 

無限リピートされる天才的なアイドル様

前回の記事で、車の中では普段子どもの好きな音楽ばかりかけざるを得ないという話に少し触れました。最近は何をかけているのかというと、そう、YOASOBIの「アイドル」という曲です。

調べたところ、2023年のUSEN MUSIC AWARDで「アイドル」は堂々の6位にランクインしていまして、どうやら娘の幼稚園でも流行っているらしく。運動会かなにかでも使っていた記憶があります。

子どもって一つ気に入った曲があると、ひたすらにリピートしたがりますよね。一切の妥協を許さない無限リピート。そう、淡々と(?)燦々と(?)。だから最近は、車内ではとにかくひたすら「アイドル」です。パパが「アイドリングストップ!」とか言っても誰も反応してくれません。

はいはいあの子は特別です 我々はハナからおまけです

ずーっとリピートで聴いてると頭おかしくなりませんか。ちょっと本当にイライラするようになってしまっていて、あの手この手でこの曲をかけない工夫をしているのですが、とはいえ「パパはこの曲が苦手」とかはあまり言いたくないので、なんだかんだで再生せざるを得ないわけです。

 

午前七時半から約一時間半の間に約20回、フミキリに望遠鏡を担いでった話

似たような話を思い出しました。私はある時までバンプオブチキンも苦手でした。

中学生の頃、バンプオブチキンの「天体観測」がアホほど流行っていました。当時、私は野球部に所属していました。

2003年。休日、遠征試合で父兄の車に乗って遠方への移動。私は、キャプテンの「てっちゃん」の家の車に乗せてもらいました。てっちゃんはバンプオブチキンが大好きでした。天体観測をCDでかけ始めました。改めて調べたところによると、天体観測のリリースは2001年3月。2022年2月にメジャー1stアルバム「jupiter」がでているわけですが、てっちゃんは持っていなかったんでしょうね。中学生にとってはアルバムを買うのは結構勇気のいる出費だったように思います。ですから、カーオーディオに投入されたのは当然、堂々のシングルCDです。そしていわゆるB面曲には興味がありませんから、天体観測1曲リピートということになったわけです。たしか遠征先への道のり、一時間半くらいあったと思うんですよね。

今考えると、「てっちゃん、もういいよ」って言えばいいだけなんですが、言えなかったんですね。なんとなく、他人の家の車に乗せてもらっているアウェー感。場が支配されている感。なんか、14歳の私は屈してしまったんですね。

天体観測は約4分半の曲ですから、計算してみると約20回のリピート再生だったことになります。約20回というと絶対値的に意外とそうでもないな、1億回くらいに感じたんだけどな、と思ったんですが、実際に20回連続で同じ曲を聴いてみるとその地獄がわかると思うので是非お試しください(普通は5回目くらいでだいぶ気分悪くなってきます)。

とにかく私はその一件で、しばらく天体観測どころか藤原基央の声自体を受け付けなくなりました。(なお、高校生くらいで回復しました)

 

そんなわけで、YOASOBIも、ほとぼりが冷めればまた普通に聴ける日が来ると思うのですが、正直今はあの声もサウンドもなるべく距離を置きたい、というのが本音です。彼らは悪くないんですけどね。「てんさいてきな あいどるさまっ!!」とか言ってる娘ちゃんはまさに天才的なアイドル様に思えるんですけどね。

アンデルセン公園とかいう神スポット

天気に恵まれた三連休、いかがお過ごしでしょうか。

昨日は、気温も高めで穏やかな気候だったので、アンデルセン公園とかいう千葉県が誇る神スポットまで遊びにいきました。

アンデルセン公園のランドマーク 風車と丁寧に手入れされた草木・花々

www.park-funabashi.or.jp

東京ドイツ村と双璧をなす、千葉県内の外国領土

公式サイトを見ていただけばわかるように、とにかくアホ広いので、小さな子供連れで行って遊びに困ることはないです。うちは5歳2歳1歳の3人ですが、3人ともそれぞれが楽しめる遊具や広場がたくさんあります。

ちなみに、なんで「アンデルセン公園なの?」という問いに対しては、公式サイトに以下の記述がありましたのでご参考まで。

アンデルセン公園の整備にあたっては、世界的な童話作家H.C.アンデルセンの生誕の地であり、船橋市姉妹都市で結ばれたデンマーク王国オーデンセ市の全面的な協力を受けており、様々な交流事業も行われています。

 

こんな感じで拠点を構えて、あとは自由に遊ばせるのがよい

入園料金は大人900円、子どもも0~200円(3歳児以下は無料)と気軽に行ける水準ですし、都心からも車で1時間程度で行けると思うので、日帰りで行ける子連れ遊びスポットとしてはかなりおすすめです。

午前中~お昼前くらいに到着して、テントでお弁当食べて、あとは好きに遊ばせていると、あっという間に閉園時間(16時)を迎えます。

 

帰り道は車内で全員爆睡間違いなし。普段は子どもの好きな音楽をかけざるを得ないですが、こういう旅の帰りで全員爆睡タイムだけは、自分の好きな音楽をかけられる。このシチュエーションではよく斉藤和義をかけます。歩いて帰ろう、なんてね。ドライブなんだけど。とか一人で考えながら、親父ひとりのエモドライブを満喫です。

 

そんなこんなで本日、子どもたちはみんな仲良く風邪を引いたようで自宅でのんびり過ごしています。天気が良いとはいっても、まだまだ寒いですので、みなさまご自愛ください。

年賀状のススメ

最近会っていなかった人から連絡が来ると嬉しいですよね。

昨日、数年前に仕事でご一緒した同世代の弁護士の先生から久しぶりに連絡がありました。ひとつは飲み会のお誘いで、もうひとつはお仕事のご相談でした。どちらかだけでも嬉しいのに、文字通り倍嬉しいものです。

きっかけは年賀状

年賀状なんて、子どもの頃に親主導で作っていたとき以来、自分から出すことなんてほとんどありませんでした。学生時代はもちろんのこと、社会人になってから仕事関係で届いたものにも、結婚した年にこれ見よがしに送られてくるものにも、返事すら出さずに放っていました(自分が結婚してからは、妻に「返事くらい出したら?」と言われて、送ってくれた人には返すようにしていましたが)。

ところがここ最近、具体的には昨年(正確には一昨年の暮れということになりますが)、思い直して自分から年賀状を送ることにしました。

フェイスブックなんかでもおじさんたちが「今年から年賀状は廃止しました」なんて報告しているのをよく見かけるようになった昨今、敢えての逆張りです。私の世代で年賀状を書いている人なんて、かなりの少数派だと思います。だからこそ、意味があると思いました。

やはり珍しいからか、10人に1人くらいは、「年賀状ありがとうございました!」ってLINEなりメールなりでご連絡してくれるんです。で、その流れで「久しぶりに飯でも行きますか」なんて。

今年の年賀状デザイン。会社でプロにお願いして作ってもらっています

大事なのは"Keep in touch"

別に年賀状を送ったからすぐに案件をもらえるなんて思っていません。そんな甘いものではないです。でも、お仕事の依頼をいただけるのは、個人同士の信頼関係がベースになります。もちろん会社同士の付き合いですから、会社としてお仕事をいただくわけですが、なんだかんだ個人の付き合いって効いてくるじゃないですか。当然に、信頼関係の基礎にあるのは日々の仕事のクオリティですが、業務外における人間同士の関わり合いも、私は大事だと思っています。

昔よく、海外留学から帰ってきた連中が現地の友人とフェイスブック上で"Keep in touch!"なんてやり取りを見ました。(連中が本当に"Keep in touch"しているのかは甚だ懐疑的ではありますが、)個人的には言葉自体は良い言葉だな、と思っていて、ゆるいつながりでもいいから、自分と関わった方との関係を少しでも"Keep in touch"していけたら、いつか良い形で自分に還元されるのかな、と思っています。

年に一度の年賀状、それは昔々からのKeep in touchのためのAwesomeなTipsだったんだと思います。

 

SNSはリアルな関係をつなぐ役割を終えてきている

2010年代はSNSが急速に発達した10年間で、リアルな友人関係もフェイスブックやインスタグラムでKeepされるようになったと思います。

でも、2020年代、この辺のリアルな関係を前提としたSNSをまともにやっている人って、かなり少なくないですか。どんどん減ってきているのは間違いないです。私自身もフェイスブックには年に1回くらいは投稿していますが、それでも続けている方だと思っています。スパム広告に嫌気がさして見るのもやめてしまった、なんて人も少なくないですよね。要するに2010年代に流行ったSNSなんかはオワコン化しつつあるのは間違いないってことですよね(TwitterもといXも急速にアレだし)。

だから、実は、年賀状は逆張りではなく順張りです。流石に年賀状が再びマジョリティになる世界は訪れないと思いますが、2010年代よりは価値をもつコミュニケーションツールになっていると私は思っています。

ひょっとすると、私が急にブログを始めたくなったのも、年賀状と似たような話かもしれません。

来年は、年賀状、送ってみてはいかがですか。

【大雪記念】1億年ぶりのブログ開設

大雪記念パピコ

前回東京で(私が住んでいるのは千葉県ですが)雪が積もるほどに振ったのはいつかな、と思ってGoogle Photoを振り返ってみると、2022年2月11日に当時3歳の娘と雪だるまを作った記録がありました。

2022/2/11 自宅庭にて

2022年はどうやら年明け早々、1月6日にも大雪が降って積もったようで、これはその年2回目の雪だるま制作だった模様です。

当時3歳の娘は雪遊びがたいそう楽しかったようで、「冬=雪の季節」と覚えてくれました。2023年は大した雪が降らずに残念そうでしたが、5歳の冬は雪がみられてよかったね。

きっと明日の朝にはそれなりに積もっているでしょうから、朝から雪だるま制作に駆り出されそうです。朝一で財務モデルのミスっぽいところをクライアントに逐一詰めていただくイベントが予定されているので、早めに切り上げたいところです。

 

1億年ぶりにブログを開設しました

私は古のインターネットオタクなので、小学生くらいからジオシティーズでペチペチHTMLを叩いてホームページを作ってみたりして、画面越しのインターネットのお友達と「キリ番げと」とか言い合っていました。その後ブログブームが来て、私も自作ホームページをちまちまと更新する管理人からブロガーへの転身を図りました。

ブログもいろいろ転々としたような気がしますが、最終的にはHatenaに落ち着きました。ブログブームの当時、市川海老蔵*1率いる芸能人軍団やキラキラ改行大好きギャルなんかはみんなアメブロだった一方で、陰キャオタク達にとってはHatenaくらいがほどよくコミュニティ化されていて居心地よかった記憶があります(世の中的には2ちゃんねるが全盛期だったかな。異論は認める)。

そうこうしているうちにブログもだんだん下火になり、というか、Twitterが強かったですよね、ブログ友達もみんなTwitterに移行して、その界隈の中では私は乗り遅れた方だったのですが、2008年か2009年くらいに最初のTwitterアカウントを開設しました。2010年に現在のアカウントを開設して、細々と続けて今に至ります。(この辺のインターネット遍歴はそのうちもう少し詳しく書いてみます)

Twitterを始めてからもしばらくはブログを続けていたのですが、手元で把握できる限りでは、2011年9月を最後に記事の更新は途絶えた模様です。そこからのインターネット活動は基本的にTwitterのみとなったわけでして、今回のブログ開設はちょうど1億年ぶりということになるわけです。

 

何故いまさらHatenaなのか

なんて言うとHatenaのみなさんに失礼ではありますが、少なくともTwitterのFFのみなさんでブログっぽいことやってる方は大体noteで書くのが主流でして、Hatenaなんか使ってる人見たことないですよね。ブログブームの火付け役となったアメブロだって、今となっては市川海老蔵さんと辻ちゃんくらいしか書いていません。

だから新たにブログやるなら普通はnoteだと思うんですが、やっぱり私は昔お世話になったHatenaで書いてみようかな、という気持ちが強かったんですかね、古のインターネットオタクとしては。

あと、なんとなくnote好きじゃないし、収益化したいとも思っていないというのもあります。

 

何をテーマに書いていくのか

特に決めていませんが、雑然と日々思った事を、Twitterよりももう少しまとまった文章で言葉にしていきたいと思いました。

現状は、やはり生活の中で子育てと仕事が大きなウェイトを占めていて、仕事で書けることは限られているので、子育てブログみたいになるんでしょうか。

あまり肩ひじ張らず、有益なことを書こうとなど思わず、週に1回くらいは更新していきたいと思っています。

*1:現在は十三代目 市川團十郎 白猿さん